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            仏教志塾とは関係ありません。

      法 句 経(北伝)

     超訳です!

     お釈迦さま目線なのに、衆生の目線になっていたり  

     お釈迦さまが消えたりしています。

     意訳からは程遠いものですので、ご注意ください。

 

      

 

教学品第二

 

教学品有 導以所行 釈己愚闇 得見道明

 

教学品とは 導くに所行を以てし 

己の愚闇を釈して 道の明なるを見ることを得しむ

 

きょうがくほんとは みちびくにしょぎょうをもってし

おのれのぐあんをしゃくして どうのみょうなることをえしむ

 

教学品は人々を仏法に導いてくれるアイテムだ。

盲目を開いた人々に必要なアレコレを示してる。

ボンクラだって努力次第だ!

心配することはないよ!

 

 

咄哉何為寐 螉螺蜯蠧類  隠弊以不浄 迷惑計為身

咄、何為れぞ寐ぬるや 螉、螺、蜯、蠧の類

隠弊するに不浄を以てし 迷惑して計りて身の為にす

とつ なにすれぞいぬるや おう・ら・ぼう・とうのるい

おんぺいするにふじょうをもってし

めいわくして はかりてみのためにす

怪奇な虫たちは、世間に居ても生存価値は無く邪魔扱いされる。

だから、陽に照らされない安全な場所、岩の下に隠れ住む。

仏法をしらないで生活している凡夫は

世間に居ても生存価値は低いことにも気が付かずに巷を彷徨う。

法に照らされない苦界に彷徨い続けている。

​仏法を知らなければ、岩の下の怪奇な虫たちと同じだよ。

焉有被斫創 心如嬰疾痛 遘衆厄難 而反為用眠

んぞ斫創を被むること有らん 心疾痛に嬰るが如し 

衆の厄難に遘うも 而も反って用て眠ることを為す

いづくんぞしゃくそうをこうむることあらん

こころ しんつうにかかるがごとし

もろもろのやくなんにあうも 

しかもかえってもって ねむることをなす

『いづくんぞ~にあらん(や)』

なんで△△しているのに□□になるの・・みたいな感じ

 

(人生の)怪我しないようにしていても、

怪我しちゃうんだよね!

そもそも、迷いの中に生きているのだから、怪我しないはずがないのだ。

さらに悪いことに・・

怪我をしても学ばない!オバカサンである。

思而不放逸 為仁学仁迹 従是無有憂 常念自滅意

思うて放逸ならず 仁の為に仁の迹を学ばゞ

是従り憂有ること無からん 常に念じて自ら意を滅すべし

おもうてほういつならず にんのために にんのあとをまなばゞ 

これよりうれへあることなからん 

つねにねんじてみずからいをめっすべし

 
放逸状態(制御を忘れた自己中心的=無明状態)にならない様にご注意!

サンスカーラの何たるかを知る為に(良く発動された)サンスカーラを学んだならば、諸行無常も正しく理解できる。

そして自己中心的だったころに心配していた事共は無くなる。

正しいサンスカーラが発動された状態(不放逸)での善行に励もう。

⇒慈悲の行動⇒心の形成作用⇒サンスカーラとおいてみた。

 

正見学務増 是為世間明 所生福千倍 終不堕悪道

 

正見を学びて務めて増さば 是を世間の明と為す

所生の福は千倍し 終に悪道に堕せず

しょうけんをまなびてつとめてまさば 

これをせけんのみょうとなす

しょしょうのふくは せんばいし

ついにあくどうにだせず

八正道を正しく学び善行を積むならば、苛むものは消えて晴れあ

がる。

悪道に陥ることの無い素晴らしい人生(人界の人)となる。

 

 

莫学小道 以信邪見 莫習放蕩 令増欲意

小道をんで以て 邪見を信ずることれ 

放蕩をうて 欲意を増さ令むること 

しょうどうをまなんでもって じゃけんをしんずることなかれ

ほうとうをなろうて よくいをまさしむることなかれ

バラモンのなどの教えは現世利益専用だから熱心になるな!

五欲を追及するばかりになってしまい、正しい生活が出来ないようになる。

日本風にするなら・・・

正しく生きるならば、怪しい宗教に耽ることは止めましょう!

善修法行 学誦莫犯 行道無憂 世世常安

善く修法を行じ 学誦して犯すこと莫れ

行道は憂へ無く 世世常に安し

よくしゅほうをぎょうじ がくじゅしておかすことなかれ

ぎょうどうはうれへなく せゝつねにやすし

不放逸な状態を維持しましょう!

サンスカーラをよく知って無明をコントロールしながら仏道修行に励むならば、その人の生涯に憂いが生じることは無い。

 

慜学攝身 常愼思言 是到不死 行滅得安

 

慜学して身を攝し 常に愼んで思言せば

是れ不死に到り 行滅して安きことを得

びんがくしてみをせっし つねにつつしんでしごんせば

これふしにいたり ぎょうめっしてやすきことをう

~やすきことをう(ル)は付けないよ

不死は永遠の生命(不老長寿の不死)ではありません。

死ぬことが無い~

生苦が終わる~

生まれ変わることが無い~

つまり不死とは涅槃を得たとか彼岸に到着状態のことだ~

※如来として願って生まれ出る(願生)はある・・

怠ること無く心して仏法を学びつづけ、得た教えに溺れることなく、守り伝えられるよう常に心がける。

まさに八正道に示すとおり善行を積むならば、必ず涅槃に到る。

 

 

非務勿学 是務宜行 已知可念 則漏得滅

 

務に非ざるをば学すること勿れ 是れ務なれば 宜しく行ずべし

已に念ず可を知らば 則ち漏を滅することを得

つとめにあらざるをば がくすることなかれ

これつとめなれば よろしくぎょうずべし

すでにねんずべきをしらば

すなはちろをめっすることをう

 

お釈迦さまの教えだけを学びましょう!

それ以外を学んではいけません。

この説を知って仏道を歩むならば、

無明はよく制御されて良い結果が得られる。

 

見法利身 夫到善方 知利健行 是謂賢明

 

法を見て身を利すれば 夫れ善方に到り

利なるを知りて行を健つ 是を賢明と謂う

ほうをみてみをりすれば それぜんぽうにいたり

りなるをしりてぎょうをたつ これけんみょうという

正しく見る心を得た上での仏道修行に励むなら、明らかに彼岸に向っているよ。その確信を持って仏道修行に励むならば、明らかに如来使(お釈迦さまから衆生救済を託されている菩薩)だよ!

 

起学義者 学滅以固 著滅自恣 損而不興

 

 

起って義を覚せる者は 滅を学して以って固し

滅に著して自ら恣なれば 損じて興らず

たってぎをかくせるものは めつをがくしてもってかたし

めつにじゃくしてみずから ほしいまゝなれば 

そんじておこらず

揺るぐことのない確信を持って仏法(正法)をマスターしたならば、煩悩に迷わされることは無いさ!彼を慕う者は幸福だね。

 

だが、五欲に執著した俗世好みな邪法(怪法)をマスターした偽賢者ならば・・一時は流行るけど・・

慕う者は不幸であり、心に傷を負い去っていくよ。

そして自らも邪法に病んで崩れ落ちるよ。

是向以強 是学得中 従是解義 宜憶念行

是に向うに強を以てし 是を学んで中を得

是従り義を解し 宜しく行ぜんことを憶念すべし

 

これにむかうにきょうをもってし 

これにまなんでちゅうをえ

これよりぎをかいし 

よろしくぎょうぜんことをおくねんすべし

強い信念を保って彼岸(涅槃)へ向かうについて

チョットおせっかいな話になるが・・

この先、貴方に見合った進むべき道(中道)が開けるぞ!

その先、悟りへの道(八正道)が必要な理由も判るぞ!

おせっかいな話を忘れないで、挫けずに善行に励むのだ!

 

学先断母 率君二臣 廃諸営従 是上道人

 

学んで先ず母を断て 君の二臣を率いて

諸の営従を廃するは 是れ上道の人なり

まなんでまずもとをたて 

きみのにしんをひきいて

もろもろのえいじゅうをはいするは 

これじょうどうのひとなり

断母は『カァチャンを殺す』ではないよ~

 『△△の母』とか『母なる大地~』って感じです。

 ここでは煩悩や五欲の(モト)をつ・・

 『五欲の迷情を掃う・・』と同じ

くだらない欲を捨てましょう!

優秀な部下がいたとしても、銭儲けは止めよう!

様々な商売は上道に無関係な奴等に任せとけばいい!

涅槃を目指す方なら心が乱れることに手を出さないことだよ。

 

 

 

学無朋類 不得善友 寧獨守善 不與愚偕

学に朋類無し 善友を得ざれば 

寧ろ獨り善を守りて 愚と偕ならざれ

がくにほうるいなし 

ぜんうをえざれば 

むしろひとりぜんをまもりて 

ぐとともならざれ

学ぶのに仲間はい有らないし、いなくて良いのだ!

一人で学べばよろしい!

足を引っ張るような友は、修行の邪魔になるだけだ!

(愚者じゃない友なら歓迎だ)

 

 

 

楽戒学行 奚用伴為 独善無憂 如空野象

 

戒を楽しみ行を学ぶに 奚んぞ伴を用うることを為さん

独り善く憂無きは 空野の象の如し 

かいをたのしみぎょうをまなぶに 

いづくんぞともをもちうることをなさん 

ひとりよくうれへなきは 

くうやのぞうのごとく

 

出家者として修行中ってことならさ~

友達とかパートナーとかって居なくてもいいじゃん!

もし、友達やパートナーが居るのならば、心が乱されて修行に専念できないよね!

一人なら・・

(良い意味で)原野に一人ぼっちで棲むゾウのように・・

誰にも邪魔されることなく修行が出来るね。

 

 

 

 

戒聞俱善 二者孰賢 方戒稱聞 宜諦学行

 

戒と聞とは俱に善く 二者孰れか賢ならん

方に戒を稱して聞という 宜しく諦に学行す

 

かいともんとはともによく 

にしゃいづれかけんならん

まさにかいをしょうしてもんという 

よろしくあきらかにがくぎょうす

 

戒律と聞(学び得る知識)っていうのは鏡に映り合っているようなものだ。

片一方が勝れているという判断はできない。

つまり・・

置かれた状況の違い(学ぶ時と、行する時)とで、

戒の事を聞と換言する事が出来るのだ!

このへん知っておきましょう。

 

 

 

学先護戒 開閉必固 施而無受 仂行勿臥

 

学するに先づ戒を護る 開閉必ず固し 

施して受くること無く 仂行して臥すこと勿れ

がくするにまずかいをまもる

かいへいかならずかたし

ほどこしてうくることなく

りきぎょうしてふすることなかれ

大事なことは『教えを得る前に出家者ルールを守ろう~』だ!

出家者の”ありよう”が解らぬうちは・・

施しに対しての何かが得られると期待しちゃうかも・・ダメ!

そして怠け心(睡眠欲)などが起こるかも・・ダメ!

それを克服できるよう、心が暴走しないように出家者のルールを守ることを心がけようね。

 

 

若人寿百歳 邪学志不善 不如生一日 精進受正法

 

若し人寿きこと百歳ならんも 邪に学して不善に志さば

生一日なるも精進して 正法を受くるには しかず

もしひといのちながきこと ひゃくさいならんも

じゃにがくして ふぜんに こころざさば

しょういちにちなるも しょうじんして

しょうぼうを うくるには しかず

 

巷に溢れる邪教の言葉に信じて・・およそ100歳までも生きたとしてもさ、それは迷い続けるだけで、苦しいだろうね!

精進してお釈迦さまの教えを得たならば、別にね長寿じゃなくても(短い一生でも)幸せイッパイで満足な人生だよ。

 

 

 

若人寿百歳 奉火修異術 不如須臾頃 事戒者福稱

 

 

若し人寿きこと百歳ならんも 火を奉じ 異述修せんに

須臾の頃も戒に事うる者の 福を稱へんには しかず

もしひといのちながきこと ひゃくさいならんも

ひをほうじ いじゅつをしゅせんに

しゅゆ(シバラク)のあいだも かいにつかうるものの

ふくをとな(タタ)えんには しかず

 

須臾(しゅゆ)僅か一瞬・・

古来中国的の物理的説明は省きますが極短い時間の単位です。

そして須臾(しばらく)と読んだりしています。⇒人間感覚

100歳まで生きるような老人の生き様なんだが・・

怪しい呪術師の熱心な信者になってしまった者がいたとしよう。

そして別に・・

涅槃を目指しチョットだけでも正道に励んだ方がいたとしよう。

邪教と正法では同じ長寿でも両者が生涯に得る福の差は大きい!

 

 

 

能行説之可 不能勿空語 虚偽無誠信 智者所屏棄

能く行するは之を可と説かんも 能はずして空語すること勿れ

虚偽にして誠信無きは 智者の屏棄する所なり

 

よくぎょうするはこれをかととかんも

あたは(わ)ずして くうごすることなかれ

こぎにしてじょうしうしんなきは

ちしゃのびょうきするところなり

 

ルールをや教えを護って努力精進している修行者は非常に宜しいことだ。

だが、妙な理屈を創り上げて、持論を展開する奴は困り者だ!

智を得ないで理解したふりをして偽説を語ることは、信頼できない出家者であり、追放(波羅夷)の対象だ!

~理解したふりはするなよ~

 

波羅夷(~罪) (pārājika・ パーラージカ)

 戒律違反の重罪に課される罰則で僧団から追放されてしまう!

 ~オハライバコの元型だ~

※『誤解して別説を説いちゃった・・』の場合は波羅夷の対象外で  あり誤解を修正すれば済むのだ。

 

 

学當先求解 観察別是非 受諦応誨彼 慧然不復惑

 

学んで當に先づ解を求め 観察して是非を別つべし

諦を受けなば 應に彼を誨ふべし

慧然は復惑はず

 

まなんで まさにまず げをもとめ

かんさつして ぜひを わかつべし

たいをうけなば まさにかれを をしふべし

えねんは またまどは(わ)ず

 

誨ふ(をしふ)=教える

「當に~べし」⇒かならず~(しなければ)ならない・・に近い

「應に~べし」⇒きっと~だろう・・に近い。

誰かに教える前に・・

必ず自分が先に教えや真理の分別を、よ~く理解しておかなければならない!

 

いつかきっと誰かに仏法を教えることになるだろう!

そんな時・・マスターしているから分別で惑うことなど無いし、清らかで正しい教えを知っているのだからバッチリだ!

 

 

被髪学邪道 草衣内貪濁 蒙蒙不識眞 如聾聴五音

 

被髪して邪道を学し 草衣にして内に貪濁なり

蒙蒙として眞を識らず 聾の五音を聴くが如し

 

ひはつしてじゃどうをがくし

そうえにしてうちにどんじょくなり

もうもうとしてしんをしらず

ろうのごおんをきくがごとし

 

※不適切な表現があることをご容赦願います。

ヘアースタイルがサンバラの怪しい出家僧・・!

そして怪しい宗教に熱心な奴のことだ!

奴も他の真面目な僧侶と同じく衣や袈裟と着して・・

僧侶の雰囲気を醸し出しているから困るんだ。

でも、奴の中身に整った真理などないのだ!

どれがお釈迦さまの教えなのか区別もできないのだ。

たとえば(不適切な部分・・)

聴力にハンディを持つ方が、五音(中国古来の音階)を聴き別けられないのと同じだ

 

・・・聴き別け試験はありませんが・・・

五音とは、徴(ち)・羽・宮・商・角という中国発祥の音階ルール

(少々洋楽っぽいですが)標準がG(ハ長調でソ)

そのG(ソ)を基準=とした五音とは・・

上への2音⇒A(ラ)がで・・その上のC(ド)が

下への2音⇒F(ファ)がで・・その下のD(レ)が

その下の低いC(ド)の角も含まれます

先生がG(ソ)を宮とした状態で・・

説明に五音を使い「声『ア』を宮・商・宮・羽で唄え」と言ったならば、声の音階はG・A・G・F=ソラソファ~です。

これは双調(そうじょう)といいハ長調に相当します。
 

先生がE(ミ)を宮とした状態で・・

説明に五音を使い「声『ア』を宮・商・宮・羽で唄え」と言ったならば、声の音階はE・F♯・E・D=ミファ♯ミレ~です。

これを平調(ひょうじょう)といいイ長調に相当します。

〇五音とは、用意された一つの音に対しての上下指示です。

 

学能捨三悪 以薬消衆毒 健夫度生死 如蛇脱故皮

 

学は能く三悪を捨すること 薬を以て衆の毒を消すがごとし 

健夫は生死を度すること 蛇の故の皮を脱するが如し

 

がくはよくさんあくをしゃすること

くすりをもってもろもろのどくをけすがごとく

けんぶはしょうじをどすること

へびのもとのかわをだっするがごとし

 

健夫=調御丈夫さん(お釈迦さまの別称)

三悪=地獄・餓鬼・畜生の世界

 

法を正しく学ぶならば、三悪から離れらる。

1・苦を諦らかに知る(苦しい!おれは病気だ!毒されている!)

2・集を諦らかに知る(病気の原因を探す=薬!処方箋くれ!)

3・滅を諦らかに知る(治療完了=回復したけど安定しないよ!)

4・道を諦らかに知る(健康維持=再発防止には仏道修行継続!)

​これ四聖諦といいます。

(涅槃を目指す聖なる方々が得られる4つの法理って感じ!)

 

これを成功させた方のお名前が健夫さん

 そう、健夫さんは生死のサイクル終了した!

もう死ななくて善い=不死(涅槃を得た)状態だ。

解脱の話をヘビ君の脱皮に例えて、健夫さまの解脱(脱皮作業)は終了済だよ。

ヘビの脱ぎ捨てた皮、それは四苦八苦の根源(煩悩・五欲)だ。

涅槃を得て不死だからもう脱皮しないよ!

=最終解脱!

っで、私たち・・

健夫さまを真似して努力精進を重ねるのだが、脱皮が下手で・・

なんだか再発したり~回復しきれなかったり~なのだ

そこで、ヘビ君再登場!(役柄は何度も脱皮するヘビ)

煩悩が貯まって病気を再発して三悪道に落ちないように~

脱皮を繰り返せ!

四聖諦を忘れないことだね~!

精進に努めて何度でも脱皮(解脱)しようや。

※仏教は解脱を繰り返す教えです。

※解脱は一回だけと誤解した仏教徒には、解脱が繰り返せることを 説くのです。(特に法華経)

 

 

 

学而多聞 持戒不失 両世見誉 所願者得

 

学びて多聞 持戒して失は不れば 

両世に誉められ 願う所は得るなり

 

者=置字で・・

 

  『所は』~の()』に重なる

 

  「~願フ所ノ者ハ得ルナリ~」と読まない

 

まなびてたもん じかいしてうしなわざれば 

りょうせにほめられ ねがうところはうるなり

 

仏法をしっかり学んで、教団ルールだってしっかり守った!

正しく仏道修行に励んだのだ!・・

だから、修行中の今と迎える来世の両方で「心配ない奴である」というお墨付きを得られるよね。

そのうえ、出家者の願い(布教活動は諸天善神によって護られて安泰!最後は涅槃だ)が成就するんだ!

 

※両世⇒『彼岸へ向かう修行中の今』と『彼岸着』の両方っていう感じ、片方が死後の世(来世)だと限定はしないよ。

学而寡聞 持戒不完 両世受痛 喪基本願

 

学びて寡聞 持戒して完からざれば 

両世に痛を受け 其の本願を喪う

 

完=(マッ・ト)ウ ・・⇒(マッ・タ)カラ不レバ

 

まなびてくわもん(くわぶん・かぶん) 

じかいしてまったからざれば 

りょうせにいたみをうけ そのほんがんをうしなう

 

お釈迦さまの教えを聴こうともせず 

教団ルールを遵守しない!出家者としての完成に到らず!

こんな状態であるから、その修行態度で現世は落第確実。

悟りが得られるはずの次世だけどさ、辛い時間だけだね! 

そして願事だが・・

・・落第者が涅槃に向かうなんてムリだよ!

 

夫学有二 常親多聞 安諦解義 雖困不邪

夫れ学に二有り 常に多聞に親しみ 

安諦に義を解る 困しむと雖も邪ならざれ

 

それがくににあり つねにたもんにしたしみ

あんたいにぎをさとる くるしむといえどもよこしまならざれ

 

まず、お釈迦さまの教えを深く了知し、

そして・・穏やかに、了知した法を己に沁みこませる。

その仏道修行に励む中に厄介な事が転がり込んでも、

他の宗教(仏教以外のバラモンなど)に頼るでないぞ!

ブレずに・・まっすぐ進もう!

稊稗害禾 多欲妨学 耘除衆悪 成收必多

 

稊稗の禾を害するがごとく 多欲は学を妨ぐ

衆悪を耘除せば 成收必ず多からん

 

たいひ(テイハイ)のいね(ノギ)をがいするがごとく

たよくはがくをさまたぐ

しゅうあくをうんじょせば 

じょうしゅうかならずおおからん

 

稊稗(たいひ・ていはい)=およそ雑草

禾(いね・のぎ)=イネ科植物(食べ物)

耘除=削除と同じ

能力に合せて丁寧に学べば良いものを、能力を超えて何でもかんでも学ぼうとするのは収得効率が低いからお奨めしないよ。

でもね・・

イネを栽培するにあたって雑草を丁寧に取り除けば、収穫が増えると同様で・・

学び受ける教えに紛れ込む雑草(誤解や雑念)!

この雑草を駆除(誤解を正し、雑念は処分)すれば“教えの収穫”は増大するだろう。

修行状態の“丁度良い(中道)”を知るキッカケになるかも~

 

慮而後言 辭不強梁 法説義説 言而莫違

慮って後言い 辭は強梁ならず 

法説義説 言って違すること莫し

 

おもんぱかって のち いい 

ことばは きょうりょうならず

ほうせつ ぎせつ いって いすること なし

 

法話をする際に・・

聴く側に良く配慮した上で、法義・義説を説明しようね。

小声だったり、語尾が不明瞭だったり、早口になったり、

極端な力説になっちゃたりしないよう注意しよう。

一言一句を丁寧に伝えるならば、誤解されることも無くなる。

 

 

善学無犯 畏法暁忌 見微知者 誡無後患

 

善く学して犯すこと無く 法を畏れて暁忌す 

微を見るの知者は 誡しめて後の患無し

 

よくがくしておかすことなく ほうをおそれて ぎょうきす

みをみるのちしゃは いましめてのちの うれへなし

 

きちんと学んで正しく修行しているし~

教団ルールに違反していないし~

お釈迦さまの教えからズレることを畏れて、常に注意しているし~

そして修行に不要なアレコレを暁かにして排除しているし~

身の周りの些細なことにも気配り、勤勉で清浄な修行者だし~

なので・・

心配することなく彼岸へ行けるって!

遠捨罪福 務成梵行 終身自攝 是名善学

 

遠く罪福を捨て 務めて梵行を成じ 

終身自ら攝す 是を善学と名く

とおくざいふくをすて つとめてぼんぎょうをじょうじ

しゅうしんみづからせっす これをぜんがくとなづく

 

金持ちに成ろうとか

幸せイッパイの生活をしたいとか

世間から称賛されたいとか

そんな世俗的な欲望は捨てちゃている。

 

そして

子孫をつくろうとか思っていないし

女性のこととか想像していないし

エッチなことなど考えいないし

性欲に関するアレコレは思うことも無い・・

という状態を維持する梵行修行もやった!

 

こんなふうに修行を貫いて

善いサンスカーラを発動させて、五欲を制御し

不放逸(無明を抑え込んでいる)を保っている。

 

つまり

お釈迦さまの教えを正しく聴き学び

一心清浄に修行に励んでいる状態にある。

これが善学だ!

 

無学(学ぶものが無い)の状態になるまで頑張れ!

 

梵行=異性・同性・動植物・自慰・想定される性的な行為をしないという修行方法でバラモン教では出家者の入門初期段階で期間限定の修行だった・・・ハズが、仏教では恒久的修行になってしまった。

☆教学品おわり

 超訳しすぎで手元資料からもだいぶ逸脱しています。

 笑読されて、なにかヒントが得られたら幸いです。

 

 

 

 

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