
仏教志塾とは関係ありません。
法 句 経(北伝)
超訳です!
お釈迦さま目線なのに、衆生の目線になっていたり
お釈迦さまが消えたりしています。
意訳からは程遠いものですので、ご注意ください
惟念品第6
惟念品者 守微之始 内思安般 必解道紀
惟念品とは 守微の始に
内に安般を思えば 必ず道紀を解る
ゆいねんほんとは しゅびのはじめに
うちにあんばんをおもえば
かならずどうきをさとる
惟念品・・これは
解脱しようとするならば・・安般念!
(呼吸の乱れを調えよう)
三宝と合体できるように、努力精進しよう!
彼岸到着は疑いのないものに成る。
だから・・頑張ろう!
安那般那念 アンナハンナネン
ānāpāna sati アーナーパーナ・サティ
瞑想法の一つで呼吸の乱れを整える
「アーナーパーナサティ(安那般那念)を学び終え、それが能く作用して行くならば、
その修行者を覆う雲は消え去る。
むしろ、月光のように、この世を照らす者(如来の使い)になる」
出息入息念 具満諦思惟 従初竟通利 安如佛所説
出息入息の念を 具に満じ諦に思惟せよ
初従より竟りまで通利せば
安きこと佛の説きたもう所の如し
しゅつそく にゅうそくのねんを
つぶさに まんじ あきらかにしゆいせよ
はじめよりおわりまで つうりせば
やすきこと ほとけのときたもうところのごとし
安那般那念=ānāpāna-satiのお話
・・場面設定・・
修行の完了間際で・・しかも真理に目覚めそうな時、
高揚して意を忘れた呼吸になっている。
こんな時だが・・
(例えば阿羅漢向から阿羅漢果に!)
呼吸を調えて!安那般那念だ!
修行中の己の変化によって、世間の見え方も変化した・・
此処までの経過を順序を整え理解しよう。
よ~く見定めてごらんなさいな。
・・あら不思議・・
最初から、貴方はお釈迦さんの傍に座って教えを受けていた。
是則炤世間 如雲解月現 起止学思惟 坐臥不廃忘
是れ則ち世間を炤すこと 雲解けて月の現はるるが如し
起止にも学を思惟し 坐臥にも廃忘せざれ
これすなわち せけんをてらすこと
くもとけて つきのあらわるゝがごとし
きしにもがくをしゆいし
ざがにも はいもうせざれ
安那般那念のお話
安那般那念とは、数息観のことだ。
瞑想の入門コースの最初にあるのが数息観だよ!
これは「呼吸の数」を数えます。
イチ・ニィ・サン・シィ~ニジュウ・・
『もうすぐ30だ!』と思った瞬間に失敗!
起きている時も、寝ている時も・・努力を怠るな!頑張ろう!
まずもって安那般那念は世間を視る為の基本だよ。
その結果の貴方は・・
雲の間に現れる月が放す光で世間の人を照らすような人
そんな賢者に成ってよね!
比丘立是念 前利後則勝 始得終必勝 逝不観生死
比丘是念を立つれば
前にも利し 後にも則ち勝れん
始に得れば終りにも必ず勝れ
逝いて生死を観ず
びくこのねんをたつれば
まえにもりし のちにもすなわち すぐれん
はじめにうれば おわりもかならず すぐれ
ゆいて しょうじをみず
この数息観つまり
=安那般那念で
=ānāpāna satiと書いて
=安般念(略して)
は入門者にはすごく大事だ!
中級になっても、上級になっても
常に必要なんだ!奥は深いよ!
比丘(男性修行者)が安那般那念を修得したならば、
その念に入ろうとしている段階で、既に穏やかさが有る。
そしてその念から脱したとしても、もう雑念に落ちることは無い。
心の静寂から逸脱する事が無いのだ。
生死に執着することもないね。
このまま解脱すること疑いなし!
若見身所住 六更以為最 比丘常一心 便自知泥洹
若し身の所住を見んには 六更を以て最と為す
比丘常に一心なれば 便ち自ら泥洹を知る
もしみのしょじゅうをみんには
ろっこうをもってさいとなす
びくつねにいっしんなれば
すなわち おのづから ないおんをしる
泥洹は2度目だよ!
泥洹=(nirvāṇaニルヴァーナ) =涅槃.
比丘は真面目一筋!
だとすれば涅槃は傍にあるのだ!
さて、今の自分はどこにいる?
これを確認するには、六更の時間が良いとな?
というが・・・
普通は五更で夜は明けている!
およそ暗い時間であろう夜間10時間を五分割して
一更・二更・三更・四更・五更で朝なのだ。
約2時間毎での勤務交代(不寝番の交代時間目安とかね!)
「夜更かし」の元だよ。
そして一晩中を五更ともいう。
ならば六更は朝日があたる時間?
いやいや
空の時間!四苦八苦が制御されている時間!
無明が有明になっている時間だ!
チクタク時間の概念が消えちゃった頃合いがよいのだ!
已有是諸念 自身常建行 若其不如是 終不得意行
已に是諸の念有らば
自身に常に行を建つべく
若し其れ是の如くならずんば
終に意行を得ず
すでに このもろもろの ねんあらば
じしんに つねにぎょうを たつべく
もし それかくのごとく ならずんば
ついに いぎょうを えず
仏説を学び修め励んでいる・・
着実に自分の寶と成っていくのならば・・
そのまま、涅槃を目指そう!
だけども・・
サボって寶に成っていないようならば・・
利益が得られないから、賢者との差が開くだけだよ!
やるからには・・
本気でいかないとね!
是髄本行者 如是度愛労 若能悟意念 知解一心樂
是の本行に髄ふ者は 是の如くして愛労を度すべく
若し能く意念を悟らば 一心の樂を知解せん
このほんぎょうにしたがうものは
かくのごとくしてあいろうをどすべく
もすよくいねんをさとらば
いっしんのらくをちげせん
四苦八苦の因果関係を解明しようと
一心に善行に励む者がいる!
きっと本当の楽しみ(=涅槃)を知ることが
できるだろうね。
一方で・・
出家の意志が微妙だったり・・
未だ欲に浸かった状態だったり・・
なのに涅槃を目指そうとしている者がいるらしい!
「無理かもね!」
應時等行法 是度老死悩 比丘悟意行 當令應是念
時に應じて等しく行法すれば 是れ老死の悩を度るなり
比丘の悟れる意行は 當に是念に應ぜしむべし
ときにおうじてひとしくぎょうぼうすれば
これろうしの のうをわたるなり
びくのさとれるいぎょうは
まさにこのねんにおうずべし
必要に迫られると・・
その時だけ仏法を修行する輩・・
これじゃ・・
世間の方々と大して変わらない!
おそらく・・四苦八苦に苦しむね。
まともな出家者は・・
このくらいのことは承知して修行しないといけないね。
目的が不明瞭のままだと、どのみち・・この先・・
苦しむかもしれないぞ!
諸念生死棄 為能作苦際 常當聴微妙 自覚悟其意
諸念に生死を棄てなば 為に能く苦際を作さん
常に當に微妙を聴いて 自ら其意を覚悟すべし
しょねんにしょうじをすてなば
ためによく くさいをなさん
つねにまさにみみょうをきいて
みずからそのこころをかくごすべし
生老病死に執着して活きるならば、
諸行無常の苦しみに付きまとわれる。
そうならないように、常に正しい心で
「深遠微妙で微妙法音」の教えを奉持しよう。
だがね!
無量寿経で「みんなに微妙の法を説くよ」と言うけれど!
そうは言っても・・
玄奘三蔵は説無垢称経で「微妙なるはこれ菩提なり、
極めて覚り難きが故に~」と遺してる。
という事は・・わからんチンにはシンドイかもね。
それなりの覚悟を抱いてボダイサッタ(偉大なる菩薩)
を志さなければダメだよ!
能覚者為賢 終始無所会
以覚意能應 日夜務学行
當解甘露要 令諸漏得盡
能く覚れる者は賢たり 終始所会無けん
覚意を以て能く應じ 日夜に学行を務むれば
當に甘露の要を解り 諸の漏をして盡くることを得しむべし
よくさとれるものはけんたり しゅうししょえなけん
かくいをもって よくおうじ にちやにがくぎょうをつとむれば
まさに かんろのようをさとり
もろもろのろをして つくることをえせしむべし
諸々を能く理解できるものは賢者だよね。
常にブレることないよね。
出家者の戒律を遵守して・・
布教に専念して・・
煩悩をコントロールして・・
無明は知明に変化させて・・
釈尊の劣化コピーって感じだね。
そのまま・・
一心に覚りを求め続けるならば
涅槃を得るキモが解るし
その真理を得ること間違え無しだ!
劣化版じゃなくなるよ。
夫人得善利 乃来自帰佛 是故當晝夜 常念佛法衆
夫れ人善利を得んとせば 乃も来って自ら佛に帰せよ
是故に當に晝夜に 常に佛法衆を念ずべし
それひとぜんりをえんとせば
すなわちきたってみずからほとけにきせよ
このゆえにまさにちゅうやに
つねにぶっぽうしゅうをねんずべし
下心の無い清浄な利益を得ようと思うのならば
迷うことなく仏に帰依すべきだね。
仏宝僧を念ずるのだ!
法身念仏・観念念仏・称名念仏を想え!
それが信仰だ!
※念仏=南無阿弥陀佛と限定しないで~
已知自覚意 是為佛弟子 常當晝夜念 佛與法及僧
已に自覚の意を知る 是を佛弟子と為す
常に當に晝夜に 佛と法 及び僧とを念ずべし
すでにじかくのこころをしる これをぶつでしとなす
つねにまさにちゅうやに
ほとけ と ほう および そう とをねんずべし
(一行抜を修正 2021.01.11)
「汝よ、自身を知れ」はソクラテスの言葉だけど、
仏弟子ならば「自身を知れ」は「意(こころ)を知れ」にしよう。
そして・・
四宝印(諸行無常と一切皆苦と諸法無我と涅槃寂静)を知り
四諦を四聖諦と説ける聖(しょう)なるアルハットになろうよ。
念身念非常 念戒布施德 空不願無相 晝夜當念是
身を念じ非常を念じ 戒と布施との德を念じ
空と不願と無相とを 晝夜に當に是を念ず
みをねんじ ひじょうをねんじ
かいとふせとのとくをねんじ
くうとふがんとむそうとを
ちゅうやにまさに これをねんずべし
呼吸を整え考えてみよう!
我が身の存在し続けない事を承知した?
戒と律の重要性と悟り実践した?
福田思想を領解し布施行の利害関係を領知した?
それと同時に空と無想はどうですか?
万物すべてが空であることを知った?
万事すべてが平等という無想を知った?
無差別世界(無縁法界)を理解できた?
五欲を制御することができた?
人界八苦に惑わされないように努めた?
ならば涅槃寂静があるじゃないか!
☆惟念品おわり
超訳しすぎで手元資料からもだいぶ逸脱しています。
笑読されて、なにかヒントが得られたら幸いです。