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            仏教志塾とは関係ありません。

 

      法 句 経(北伝)

 

     超訳です!

     お釈迦さま目線なのに、衆生の目線になっていたり  

     お釈迦さまが消えたりしています。

     意訳からは程遠いものですので、ご注意ください

慈仁品第7

慈仁品者 是謂大聖人所履德普無量

 

慈仁品とは 是れ大人・聖人の履む所の德は普く無量なるを謂ふ

 

じにんぼんとは 

これ だいにん・しょうにんの

ふむところの とくは

あまねく むりょうなるを いう

 

慈仁品ですけど・・

凡そ先生になるような人とか、聖人という方が今日までに歩み得た結果の徳を示したものだよ

 

 

 

 

為仁不殺 常能攝身 是處不死 所適無患

 

仁を為して殺さず 常に能く身を攝むれば

是れ不死に處り 適く所に患無し

 

にんをなしてころさず よくつねにしんを おさむれば

これふしにおり ゆくところ うれいなし

 

慈しみの心を発したり

我儘を制御したり

心の形成作用を正しい方向へコントロールして

社会的ルールを優先するような心を持つならば・・

不必要な殺生はしないさ・・

それって自分のサンスカーラは良く制御されていることだし・・

所謂毅然とした心を維持している。

そうなっているのなら、覚者側に在るのはずだ・・

ならば、俗世間の悩みなど発生する筈ないよね。

仏教の不死=死ぬ必要が無い⇒涅槃を得る。

 

 

不殺為仁 慎言守心 是處不死 所適無患

 

殺さずして仁を為し 言を慎み心を守らば

是れ不死に處り 適く所に患無し

 

ころさずして じんをなし 

ことばをつつしみ こころをまもらば

これふしにおり ゆくところに うれいなし

 

命を粗末にする行動を控え、慈悲の心で生命を尊ぶ。

そして、発する言葉に細心の注意を払い品格のある心を持てるよう努めるならば、それって菩薩行に励んでいる訳だよね。

覚りを求める(得た)状態に成っているから、その状態の継続に努力している限り、その先に巡りくる日々に於いて厄介なことに巻き込まれることはないさ。

ブレたら何度でも修正すればいい!頑張ろう!

 

かつて厄介と思っていたことも、厄介なことと思わずに対処できるようになっているさ。

不死=涅槃(nirvāṇa ニルバーナを得る。

彼亂巳整 守以慈仁 見怒能忍 是為凡行

 

彼の亂を巳に整へ 守るに慈仁を以てし

怒らるるも能く忍ばば 是を凡行と為す

 

かのらんを すでにととのへ まもるに じにんをもってし

いからるるも よくしのばば これ ぼんぎょうとなす

 

心の形成工程が放逸だった状態から、

不放逸な状態に変化させよう。

なので、戒律も大事!(性欲を抑え込め!何とかしよう)

ここでは慈仁を知ろう!・・

しっかりと慈しみの心を発するようにしよう。

つづけて、我儘な心は制御してみよう。

良いサンスカーラを放出する為には

無明が知明に変わらなければネ!

 

 

 

至誠安徐 口無麤言 不瞋彼所 是謂凡行

 

至誠安徐にして 口に麤言無く 

彼所に瞋らざる 是を凡行と謂う

 

しじょうあんじょにして くちにそごんなく

ひしょ(あこ)にいからざる これをぼんぎょうという

 

女性のことなど夢にも思わず・・

言動に注意する必要も無いね!

とにかく・・全くもって誠実だ。

且つ、立ち振舞いも上質だ!

当然だが人格や品格に心配することもない。

・・いいね!如来使(&菩薩行)の御手本だね!

 

ところで

『正しい心の形成作用』が発動されていない状態の心が思ってしまう願望は怖いネ!

その願いが叶わないからイライラ!・・だね。

その『願い』の存在を彼所として、煩悩が欲する願望が叶わない『怒り』が瞋だね。

そこで・・

そんな『願い』など思っちゃダメじゃん!

制御するぞ!って行動が凡行だったはずだよね?

一行で・・

『誠実に修行に励む!女性のことを想ってはダメ!』かな?

瞋(vyāpāda/ビャーパーダ)⇒瞋恚(しんに)は煩悩の一つだ!

 

 

 

垂拱無為 不害衆生 無所嬈悩 是應梵行

 

垂拱して為すこと無く 衆生を害はず 

嬈悩するところ無くんば 是れ應に梵行なるべし

 

すいきょう(すいぐ)して なすことなく 

しゅじょうをそこなわず

にょうのうするところ なくんば 

これまさに ぼんぎょうなるべし

 

他者を害するような事案とも縁遠く!

欲に追い回されるようなことも無い日々を送る・・

煩悩が誘いに来る「あんなこと!こんなこと!」

殊に女性のこと!

これらに苛まれることも無いぞ!

この状態・・それは梵行実行中だ!

 

不空三蔵訳「仏説大孔雀明王画像壇場儀軌」によりますと

『八万四千の鬼魅ありて、有情を嬈悩し!』・・

つまり84000種類のお誘いが来ちゃうわけです。

だとすると、維摩経の『衆生浄きが故に国土清し』の為にも

梵行実行あるのみ!

 

 

 

常以慈哀 浄如佛教 知足知止 是度生死

 

常に慈哀を以てし 浄きこと佛の教の如く

足るを知り 止むを知らば

是れ生死を渡るなり

 

つねにじあいをもってし 

きよきことほとけのおしえのごとく

たるをしり やむをしらば

これ しょうじをわたるなり

 

いつでも周りのものに対して

「愛を込めて!大切に!接しましょう!」

をモットーに生きる。

そして立ち振舞いや、思いを発する根底には

濁ることの無い釈尊の教えの如くが第一だ!

高級な品物は欲することも無く、必要以上なものを欲しがることもせず・・。

こんな感じで生きたならば、涅槃を得ている状態だよね。

 

アメニモマケナイ・・あの方が出家者に見えてくる!

 

 

少欲好学 不惑於利 仁而不犯 世上所稱

 

少欲にして学を好み 利に惑わず 

仁にして犯さざるは 世上の稱うる所なり

 

しょうよくにしてがくをこのみ りにまどわず

じんにしておかさざるは

せじょうのたたうるところなり

 

八正道の第一歩の正見への心がけ

少欲して足るを知る!

そんでもって、良質な知恵を吸収!

私利私欲に迷い込むことも無いし!

「悪人だ!」と後ろ指さされるような行動もしない!

こうやって日々精進を積み重ねて行けば・・

信頼される人になるよね。

 

 

 

仁壽無犯 不興変快 人為静擾 慧以嘿安

 

仁壽は犯さるること無く 変快を興さず 

人為に静擾するも 慧は嘿するを以て安し

 

じんじゅは おかさるることなく

へんげを おこさず

ひと ためにじょうゆうするも

えは もくするをもって やすし

 

まっとうに長生きしている賢者は、

他人から脅かされたりすることなどない。

おまけに、生き方や考え方にブレることも無いよ。

たとえ誰かが、心を揺さぶったり、ひっぱたいたりしても・・

大いなる智慧が備わるから、黙って正眼を保つだけだ。

ほら・・何事も起きず安泰である

 

 

普憂賢友 哀加衆生 常行慈心 所適者安

 

普く賢友を憂へ 哀みを衆生に加へ

常に慈心を行じて 適く所の者は安し

 

あまねくけんうをうれえ あわれみをしゅじょうにくわえ

つねにじしんをぎょうじて ゆくところのものはやすし

同じ志を持ち修行するものならば、おそらく賢者組だと思うけど

その貴方の友は賢者だよね!

関係は大切にしよう!(あなたも賢者でしょ?)

世間の方々との接し方だけど、世間の方々の心の位置に拘ること

は無用だよね。賢者だろうし彼岸を目指しているだろうし・・

だとすれば、分け隔てがあっては良くないよ!

(たぶん賢者だろうから)慈悲を普くお分けなされませ。

これが日常と成るならば、法に照らされた日々が流れるよね。

 

例えば・・

『若親近法師 速得菩薩道 随順是師学 得見恒沙仏』

        法華経『法師品』の最後の句  ~超誤訳!~

 

とある地域で活動する説法師(賢者)を慕う志願者(貴方)がいたとしよう。志願者達は授記を受けて・・

正しい教えを領解することで漏れなく全員が菩薩となれる・・。

そして、もし貴方が、その説法師と共に法談を楽しめる状況に居

るのであれば・・

貴方はガンジス河の砂つぶの数に匹敵するような大勢のブッダの

使い(=如来使)と出会えるだろう。

何故って?・・すでに貴方も如来使の一員だからさ・・

常に慈心を行じて⇒如来使は慈悲の心をもって、衆生救済だっけ!

 

 

 

 

仁儒不邪 安止無憂 上天衛之 智者樂慈

 

仁儒にして邪ならず 安止して憂無くば

上天は之を衛る 智者は慈を樂しむ

 

じんじゅして よこしまならず

あんしして うれいなくば

じょうてんは これをまもる

ちしゃは じをたのしむ

 

よく人道を熟知して、周りの事を慮る。

横道に反れるような事はしない。

真っ当な修行を積み重ねるならば、心配事は近づいてこない。

尊い神仏に護られるのだ。

賢者は、仁儒(慈しみの心に長けた生き方)を楽しむかのよう

日々を重ねるのだ。

晝夜念慈 心無尅伐 不害衆生 是行無仇

 

晝夜に慈をねんじて 心に尅伐無く

衆生を害せずんば 是の行に仇無し

ちゅうやにじをねんじて こころこくばつなく

しゅじょうをがいせずんば このぎょうにあだなし 

『尅伐』=(善行に対し)疚しい想いを抱くこと

慈仁のキモ・・常に慈しみの心を保つと同時に裏腹な考えを発想しちゃいけないのだ。そしてこの世に存在する生物を悩ましたり、脅かしたりしちゃだめ!さて、この行動に対して文句を言われる事はないべ。

 

 

 

不慈則殺 違戒言妄 過不與他 不観衆生

 

慈ならざれば則ち殺し 戒に違し言妄なり

過って他に與えず 衆生を観ぜず

じならざれば すなわちころし かいにいし ことば もうなり

あやまって たにあたえず しゅじょうをかんぜず

 

慈仁の心の裏返し・・慈悲?何それ?ってもんだから、平気で殺しちゃう。そして戒律は守れない。当然だが仏語は語れない。このような愚か者なので布施行なんて出来っこない。周りの人々を救済するなど考えたことすらないおバカさんなのである。

 

 

 

酒致失志 為放逸行 後堕悪道 無誠不眞

 

酒は志を失うことを致し 放逸の行を為し

後悪道に堕す 誠無く眞ならず 

 

さけはこころざしをうしなうことをいたし

ほういつのぎょうをなし 

のちあくどうにだす まことなくしんならず

 

(中国酒に詳しくないけど・・・)

度を越した飲酒は宜しくナイよね。

深酒は、サンスカーラの制御機能を破壊するよ。

如来使も菩薩道もハチノアタマも無くなる!

失敗すること間違い無しなんだ。

今まで懸命に不放逸な状態を維持してきたのに、

それを態々壊すなんて、勿体ないね。

結局ほら信用を失っちゃったでしょ。

たかが酒、されど酒・・

悪道に堕さないようにね。

 

履仁行慈 博愛済衆 有十一誉 福常随身

 

仁に履て慈を行い 博く愛して衆を濟はんに

十一の誉有り 福常に身に随う

 

じんをみてじをおこない ひろくあいしてしゅをしゅくはんに

じゅういちのほまれあり ふくつねにみにしたがう

 

損得なしの真心を以って貴方の周りの人々を導く(救済)すると、なんと11個のご利益が齎されるのだ。それでは(これから11個)紹介するけど、最初は福徳だよ。

 

 

臥安覚安 不見悪夢 天護人愛 不毒不兵

 

臥して安く覚めても安く 見悪夢を見ず 

天護り 人愛し 毒せず 兵せず

 

ふしてやすく さめてもやすく あくむをみず

てんまもり ひとあいし どくせず ひょうせず

 

11個の利益説明の続き

2番目は、ボーっとしているときに、過去を省み、未来を想い、不安になることはない。

3番目は、善行に励んでいる時だって不安になることなどない。

4番目は、良くない夢を見たり不要な願望を願ったりすることもない。

5番目は、なんたって諸天善神からのサポート圏内にいる。

6番目は、信頼され愛されている。

7番目は、5番の如くサポート圏内なので害悪に脅かされる心配がない。

8番目は、兵戈(ヘイカ=争いごと)に巻き込まれない。

・・以上で11個のうち8番目までだ!続きは次で・・

 

 

水火不喪 在所得利 死昇梵天 是為十一

 

水火にも喪はず 在所に利を得 

死して梵天に昇る 是を十一となす

 

すいひにもうしなはず ざいしょにりをえ

ししてぼんてんにのぼる

これをじゅういちとなす

 

残り3つだ・・

9番目は、火事で焼死!川に落ちて溺死!

などで命を失うことはない。

何処にいても人災や天災で命を落すことは無いのだ。

そう・・常に不放逸であり、

備わる智慧と伴う善行の利益によって

諸天善神のサポート圏内に自己(心)と

自分(体)を置いているもんね。

​っで・・

10番目は、何処に行っても、あなたの行動は絶大な評価を得る。

11番目はこの世での業務終了の死後は、しっかり梵天に昇れる。太陽に帰れるぞ!

 

アートマンは輪廻転生を繰り返すことで磨き抜かれたぞ!

これで地上で磨かれる必要が無くなったのだ!

だから11番目と言うのは

ブラフマンに還することなのだ~!みたいな・・

(此処だけ観ると、一乗経組とは違うよね~)

以上が11個の利益(メリット)だ!

若念慈心 無量不廃 生死漸薄 得利度世

 

若し慈心を念じて 無量に廃せざれば 

生死漸く薄く 利を得世を度す

 

もしじしんをねんじて むりょうにはいざれば

しょうじ しばらくうすく りをえ よをどす

 

人を選別することなく、惜しみなく慈しみの心を提供していこう。

その行動を際限なく継続してみませんか?

そうすると、日々の生活に悩み憂うこともは減り、

何れ来るであろう死についての世俗的な恐れなども怖くなくなる。

そんなふうに成った頃には「11の利益の件」や日々の菩薩行も順調だ。

きっと向こう側のこと(彼岸)も知ってるかもね!

 

 

 

仁無亂志 慈最可行 愍傷衆生 此福無量

 

仁は志を亂ること無く 慈は最も行ずべく 

衆生を愍傷すれば 此福無量なり

 

じんはこころざしをみだることなく

じはもっともぎょうずべく

しゅじょうをみんしょうすれば

このふくむりょうなり

 

世の為!人の為!愛情を惜しみなく注入!適格に救済してるね!

そんな貴方は、立派なお方だ!福徳はとっくに備わっている

 

 

 

假令盡壽命 懃事天下人 象馬以祠天 不如行一慈

 

假令壽命を盡くして 懃めて天下の人に事へ

象馬を以って天を祠るも 一慈を行ふには如かざるなり

 

たとい ひとじゅみょうをつくして 

つとめて てんげのひとにつかえ

ぞうめをもって てんをまつるも 

いちじをおこなうには しかざるなり

慈悲の行動は素晴らしいのだ!

慈悲深く、賢者でもある貴方が行うささやかな、僅かな慈しみの行為であっても・・スッゴイ事なのだ。

たとえそれが、国王や良主に仕えたり、像サンや馬サンを提供したりしても、勿論それなりに価値もあろうが・・・、

慈仁の活動には叶わないのだ。

・・・・2020.11.04

慈仁品おわり

 超訳しすぎで手元資料からもだいぶ逸脱しています。

 笑読されて、なにかヒントが得られたら幸いです。

 

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